#003|なぜ何もないのではなく、何かがあるのか

難波優輝です。
先日、哲学者の入不二基義さんとラジオ収録で対談をしました。二時間くらいみっちりと、初対面だったのですが、いきなり存在論的な話が自然と始まり、とても楽しかったです。入不二さんの哲学は「めまいの哲学」なのではないですか、と挨拶してすぐにお伝えしたら、そうかもしれない、と笑っておられて、われわれは、世界に翻弄されるおもちゃ的思考で遊んでいるのかもしれないですね、という話に発展していきました。
なのですが、ディレクターの方が「すごい哲学的なお話で、たいへんおもしろいのですが、音声だけだと難しいかも……編集どうしようか」と頭を抱えておられていました。あっと自分も思い出しました。楽しく話しすぎてしまい、収録であることを半ば忘れていたのです。
「もうすこし具体的な話をしていただけたらうれしいのですが……」とお伝えいただき、こちらも悩んでしまいました。入不二さんと二人で顔を見合わせて「そうは聞こえないかもしれないが、これはこれで、われわれにとっては具体的な話なのです」と微笑んでいました(ディレクターさんにはたいへんご迷惑をおかけしました。放送を楽しみにしております)。
入不二さんとのあまりにも楽しいお話に触発されて、普段はあまり考えないような世界そのものについての問いが頭の中を駆け巡っています。そこで次の問いが頭の中にやってきました。
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」。問いの中の問いとも言えるでしょうか。とても哲学的な問いですね。「存在の謎」(The riddle of existence)という呼び方が好きです。
なぜ何もないのではなく、何かがあるのか、私が考えるに、その答えの候補は「この世界がこのようにしてあるから」です。答えになってないと思われそうなので説明します。